オットの出張のせいで遅々として進みませんが、Netflixの「The Crown」を子供らが寝た後で一緒に観ています。
一応歴史に沿って話が進んでいるのですが、フィクションとノンフィクションが入り混じってるので、歴史的事件の方は勉強になりますが、王家の私生活のドラマの方は多分ほぼウソだと思っておいた方が恥をかかずに済むと自分に言い聞かせつつも、なかなか波乱万丈でついつい感情移入してしまってます。
昨夜はシーズン3の第4話を見たのですが、大筋はフィリップ殿下のお母様がギリシャの内戦から逃れるためにバッキンガム宮殿に来て、と言った内容で、導入部分は殿下がアメリカでインタビューを受けているシーンでした。
キャスターが「殿下はなぜ女王と結婚したのに『王』の称号ではないのですか?」という質問をしていたのですが、アメリカでは「王配」という立ち位置が理解できないのだろうか?と、現在の騒動にも絡めてちょっと考えてしまいました。
少なくともこのシーンはアメリカでのテレビ出演の再現的な感じでしょうから、質問内容もそこまで大幅に違ってないと思うんですよね。
となると、当時も今もさほど「ロイヤル」に対する知識は変わってないってことなんでしょうか。
子供たちが観ている「小さなプリンセス・ソフィア」とか「マイ・リトル・ポニー」あたりなんかでも「庶民が努力してプリンセス(=ロイヤル)になる」的な流れだし、こんなんばっかり観てたらそりゃ王配という立場もセレブとロイヤルの違いもわからないだろうなぁ、と。
その辺自分は日本人だからか、学校で習ったわけではないですが、皇室があって、お年寄りと話したり本を読んだりしてなんとなーく空気を理解できるので「暗黙の了解」の部分でイギリス人と噛み合わないということがなくラッキーです。
もちろん努力しても無駄ってことじゃないですけどね。
キャサリン妃だって結婚前は散々な言われようだったし、結婚直後もアレコレ書かれ続けてたし、それに負けずにコツコツ努力を重ねていたところに比較対象がナニでアレだからここにきてかなり株を上げた感じでしょうか。
私も含めてというか私がほぼ代表ですが、大衆の意見やらメディアの書き方なんて掌を返すよりも素早く変わるもんですからね。
観ていたThe Crownもまさにそんな感じの終わり方で、自分は由緒正しい庶民でよかったわ、と再確認しました。
↓女王様の大好きな「コーギー」で検索したらこんなん出てきた…↓